このページでは、ハインツ・リッター(Heinz Ritter)の研究と、リッターが結論づけるに いたった事項についてを語ります。
一九六〇年代初頭、ハインツ・リッターは、 十三世紀の古ノルド語(古ノルウェー語)でかかれた『シドレクスサガ』 には、ある奇妙な地理的な記述があることに興味をそそられました。
『サガ』は、ニーベルンゲン族が、どの経路(ルート)をたどってアッティラの宮廷(その悲劇的な最期をとげた 場所)へ向かったかを語るとき、
ライン川とドナウ川の交流点で渡河したというのです。
すでに、何世代もの学者たちが、『サガ』の作者がおかした、この錯誤に気づいていました。 ライン川とドナウ川は、合流しないのです。 しかし、十三世紀のノルウェーの作者が、当時の中央ヨーロッパの地理にくらくても、 それはやむなかろうとして、この問題をかたづけました。
しかし、リッターはあえてこの文章を解明しようとしたのです。 まず、アプローチをかえて、この謎めいた文が、実在の場所を示していると仮定しました。 しかし、その場所とはどこでしょう?ドナウ川ではありえませんが、それと混同された、 ライン川と交差する他の川ではないでしょうか。試行錯誤ののち、リッターは思いもかけなくも、 ある単純明快な解答につきあたったのです。
ケルン市のやや北に、ドゥエン川 Dhuen (中世ドイツ語:ドゥナ川 Duna ) があります。 リッターは、『サガ』が意味していたのは、ほんとうは このドゥエン川ではないかと結論しました。その理由は次の通りです:
(しかし, Hempelの場合は、ドゥナ川も、やはり ドナウ川だとしていますので、比較してみてください。)
この満足な結果に励まされたリッターは、『シドレクスサガ』の地理をさらに追求することにします。 そして長年の丹念な研究から、次のような結論に達したのです。
このほかリッターは『シドレクスサガ』に登場する村や城砦の数多くを特定できたと主張しています。 その特定された場所が正しいとすれば、『サガ』の主要人物はライン地方に住み、ときには隣接する ニーデルザクセンなどへ、ごく短い道程の旅に出ていたことになります。よって、リッターは、 伝統的に信じられてきた人物比定に大いに疑いをもちます。
リッターによる地理名の特定をロードする。
もし、リッター論に従い『シドレクスサガ』が原初の、かつ正当である、 ジークフリートやニーベルンゲン族やディートリヒ・フォン・ベルンの物語を伝えると するならば、数多くの中世伝説やサガのなかで、なぜ『シドレクスサガ』のみが実在の 地理名を保持しているのか説明しなくてはなりません。リッターの説は、『シドレクスサガ』 が語りつがれてきた事実にあった物語を、保存したからだというものです。
じつのところ、これは新説ではないのです。Friese はすでに 『シドレクスサガ』には、ニーデルザクセン地方に語り継がれた伝承が、収められたのだと仮定しています。
口承文学と、それが『シドレクスサガ』において何を意味するかについての議論を ロードする 。
リッターによる数々の興味深い発見をよそに、学界はこの説に否定的です。 しかし、リッターその人や、その方法に対しての批判は、意外と少ないのです。 Janota等による辛辣な批判をのぞけば、 Heinrich Beckがいくつかの指摘をした くらいですし、いかんせん、説得力に欠けます。
リッター批評のページをロードする。
このようにリッターは、大英雄たちの人物特定に関して、新説を唱えたわけです。 その業績はあきらかであるにもかかわらず、その提唱論は、まともに研究されて きてはおりません。
紹介のつづき。